1945年8月9日午前11時2分、この黒い石柱の上空約500メートルで、原子爆弾が炸裂しました。中心から1キロメートル以内の死亡率は88%。この年の暮れまでの統計によれば73884名が死亡しています。スレート製の煙突の破片に、消し炭で「爆心centre」と書いた標識が建てられ、その後何度か建替えられ、現在のもので4代目です。