平安時代後期の真言宗の僧、俊寛僧都を葬ったとされる墓です。俊寛僧都は平安末期に平家討伐を企てた罪で藤原成経と平康頼とともに京都から島に流刑されました。その後2人は免罪されたものの、俊寛のみ恩赦を与えられず失意のまま島で亡くなりました。召使の有王丸が丘の上に葬ったとされています。