寄合町は旧遊郭引田屋があった町内。初代引田屋当主の山口家は、丸山の初期の時代より生業を始めて第15代まで続きました。特に11代の山口俳之は芭蕉十哲の一人である向井去来の流れを汲み、当時の長崎を代表する俳人でもありました。文政元年に、漢学者の頼山陽が来崎した際、中の茶屋または花月で書画清譚会が開かれていますが、この時、山口俳之も木下逸雲らと参加していたそうです。