北島秀朝は、元船町の生みの親ともいえる港湾改良工事を指揮した人物。現在の栃木県馬頭出身で、幼少期から軍事教育を受けて尊皇攘夷の思想を持ちます。嘉永6年には御所警護のため京都に上り、長州や薩摩などの武士たちと交流。慶応2年に脱藩を決意します。京都で岩倉具視と出会い倒幕軍の指揮官として活躍し、廃藩置県後の明治9年に長崎県令に任命され、師範学校の設立や医学場の開設、長崎港改良工事に尽力します。