田中田士英は本名を英二といい、若い時から俳句作品を発表していました。「カクツチ」や「太白」などの俳誌を作り、大正4年には明治期以降で長崎初といわれている句集「ナガサキ」を発行。もともとは田中姓ではなく、大光寺から田中政平氏の養子となったそう。まじめな性格で、小島小学校の教師を36年間務めました。田士英という号は、出身が士族だったことから田中の「田」と英二の「英」の間に「士」を入れて作ったそうです。