池原日南は、江戸末期から明治にかけて活躍した国学者。若くして父を失い、大阪に出て勉学に励みます。そこで吉田松陰などの影響を受けた勤皇家でした。26歳で帰崎。本古川町で眼科医を営みながら自宅で学問も教えました。また本木昌造を支えて、活版印刷の文字などを書いたそう。さらに国学や和歌にも長けており、明治天皇宮内庁の御用係としても奉仕。元旦桜の歌碑には、並んで立つ早咲きの元旦桜を詠んだ歌が刻まれています。