木下逸雲は八幡町乙名木下勝茂の三男として生まれ、本名を木下相宰、号を逸雲といいます。家業として漢方医学や蘭医などを学びました。さらに射術や茶道、書などにも優れており、特に絵に興味を持って石崎融思や江稼圃などに南画の教えを受けて、京都で大和絵などの技法も習得します。他にも、幕末には伊良林の亀山焼の復興も手掛けたとされています。なお、木下逸雲、三浦梧門、日高鉄翁を、崎陽の三画人や三筆と呼びます。