伊勢町の大神甚次郎は任侠義気があり、安政6年に本大工町の布屋某とその親戚が紛争を起こした際に、その解決に身を投じました。しかし奉行所吏員による妨害にも巻き込まれて、投獄されることになります。当時は吏員の腐敗が甚だしく、吏員を裁くことは幕府の失態となるという理由で判決が先延ばしにされて、そのまま明治を迎えました。甚次郎は明治元年の大赦によって釈放。以降も弱者の味方として活躍したそうです。