寛永19年に創建された光永寺。寛文の大火で焼失した後に再建され、元禄2年には貿易商人の園山善彌が信庸庵を完成させました。寺は唐船などからの寄進を受けて寺格も昇進。寛政7年には御朱印地格に命ぜられて、本堂や山門、鐘楼などがますます充実しました。幕末には福沢諭吉も光永寺に滞在したそう。明治維新後は長崎県議会場などとして使用されましたが、昭和20年の原爆の影響で本堂などが倒壊。その後、再建されています。