代々吉雄家はオランダ通詞を職としており、耕牛も出世を重ねて25歳でオランダ大通詞にまで上ります。寛政2年、オランダ通詞目付となった耕牛は、オランダ語の他に天文や地理、本草学なども究め、特に祖父寿山のときから始めている医学では外科を得意とし、商館医のツュンベリーにも指導を受けます。さらに尿診断や梅毒の研究などを開拓し、吉雄流外科の祖となります。門下生には「解体新書」を手がけた杉田玄白などがいます。