実業家の山内善三郎は15歳で事業をはじめ、明治20年に機械油の必要性を知ると、東京に鉱油製造工場を建設して製造を開始。その後日清戦争が勃発し、軍用機械油を一手に引き受けて巨利を得ます。そして明治35年には、長崎市小曽根町に長崎瓦斯会社を設立。居留地を中心とした地域の電灯や燃料の供給を始めて、長崎の工業発展に寄与します。墓所は深崇寺にあり、重厚な墓碑と灯籠からも実業家として成功した姿がしのばれます。