聖福寺は長崎出身の僧・鉄心道胖によって、延宝6年に創建されました。第23代長崎奉行の牛込忠左衛門勝登と岡野孫九郎の後援で幕府の許可を受け、一寺建立となったものです。以降は長崎奉行や唐船からの寄進などで境内整備が進み、松月院などの庵も多く建ちました。しかし明治維新を受けての寺院制度改革で衰退し、末庵なども廃されることに。信徒などの援助で修復整備が行われていますが、現在はかなり老朽化が進んでいます。
聖福寺は長崎出身の僧・鉄心道胖によって、延宝6年に創建されました。第23代長崎奉行の牛込忠左衛門勝登と岡野孫九郎の後援で幕府の許可を受け、一寺建立となったものです。以降は長崎奉行や唐船からの寄進などで境内整備が進み、松月院などの庵も多く建ちました。しかし明治維新を受けての寺院制度改革で衰退し、末庵なども廃されることに。信徒などの援助で修復整備が行われていますが、現在はかなり老朽化が進んでいます。