晧台寺本堂の正面には、清国(中国)の陳禎が書いた「萬徳殿」の額があります。江戸時代後期の長崎名勝図絵によると、書を依頼された陳禎は構想に2〜3年の期間をかけて筆を取ったそう。完成後は出来栄えに満足していたそうですが、実は“殿”の文字の筆法が間違っており、それに気づいた書家の林道栄が訂正。たまたま長崎に来ていた甥がその話を聞き、中国で知らされた陳禎は、ショックを受けて倒れてしまったといわれています。
晧台寺本堂の正面には、清国(中国)の陳禎が書いた「萬徳殿」の額があります。江戸時代後期の長崎名勝図絵によると、書を依頼された陳禎は構想に2〜3年の期間をかけて筆を取ったそう。完成後は出来栄えに満足していたそうですが、実は“殿”の文字の筆法が間違っており、それに気づいた書家の林道栄が訂正。たまたま長崎に来ていた甥がその話を聞き、中国で知らされた陳禎は、ショックを受けて倒れてしまったといわれています。