江戸時代、風頭山からは良質な安山岩が豊富に切り出されて、長崎市内の階段や鳥居などに広く利用されていました。石材は人力で坂を運んで市街地まで下ろしていたそうです。寛永15年、諏訪神社の鳥居を建立する際に約2000人が石材を引いたものの、石は全く動きませんでした。そこで一人が御幣を振って音頭をとったところ、全員の息が合ってようやく動いたそうです。このことから、この坂を弊振坂と呼ぶようになりました。