慶応3年に木製の橋が大雨で流出。市中心部の重要な橋だったことから急いで再架することになり、当時外国の技術が日本に伝わる中で、鉄製の橋の導入が採用されます。長崎製鉄所に発注され、設計は外国人技師のボーゲル、工事監督は井上聞多が担当。全長27.2m、幅5.5mの鉄橋は日本初で、慶応4年に完成しました。この橋は鐵橋(くろがねばし)と命名されましたが、市民からは鉄橋(てつばし)と呼ばれ親しまれています。
慶応3年に木製の橋が大雨で流出。市中心部の重要な橋だったことから急いで再架することになり、当時外国の技術が日本に伝わる中で、鉄製の橋の導入が採用されます。長崎製鉄所に発注され、設計は外国人技師のボーゲル、工事監督は井上聞多が担当。全長27.2m、幅5.5mの鉄橋は日本初で、慶応4年に完成しました。この橋は鐵橋(くろがねばし)と命名されましたが、市民からは鉄橋(てつばし)と呼ばれ親しまれています。