日本最初の黄檗宗の唐寺で、開祖の隠元禅師とも深いゆかりがあります。県の有形文化財に指定されているお寺の鐘鼓楼は二層式の建物で、上層には梵鐘と太鼓が置かれ、下層は禅堂として使われていました。梵鐘は戦時中に供出されてしまいますが、令和3年に隠元の故郷である中国福建省から梵鐘が贈られることになりました。鐘鼓楼の屋根の隅鬼瓦は、内向きに大黒天像、外向きに鬼瓦があり「福は内、鬼は外」という意味があります。
日本最初の黄檗宗の唐寺で、開祖の隠元禅師とも深いゆかりがあります。県の有形文化財に指定されているお寺の鐘鼓楼は二層式の建物で、上層には梵鐘と太鼓が置かれ、下層は禅堂として使われていました。梵鐘は戦時中に供出されてしまいますが、令和3年に隠元の故郷である中国福建省から梵鐘が贈られることになりました。鐘鼓楼の屋根の隅鬼瓦は、内向きに大黒天像、外向きに鬼瓦があり「福は内、鬼は外」という意味があります。