国道を隔てた長崎自動車学校のところにありました。佐賀藩内では御茶屋や上使屋といいいます。長崎警備のため往来する大名や幕府関係者の宿泊や休憩所で、広大な敷地に豪壮な建物があり、便所も床付き漆塗りが施されていました。1871年(明治4年)民間に払い下げ、解体されました。