1874年(明治7年)明治政府が行った台湾への派兵で多くの病死者が発生し、300人以上が長崎の大徳寺庫裏(旧大徳園)にあった長崎医学校へ運ばれました。死者が多数となったため、病院の横に招魂場(梅香崎墳墓地)を設けて埋葬しました。その後1877年(明治8年)の西南戦争の犠牲者なども合葬され、現地に移葬されました。毎年春分の日に大祭りを行っています。