慶長年間(1596年~1614年)に僧・善金が野母に来て真宗の教義を布教したと言われています。その後1660年(万治3年)僧・以峰によって開基、本願寺14代琢如上人から木佛尊像を下附され無量山海蔵寺と号しました。野母八景の屏風絵や多数の古文書を所蔵しています。10代彰己住職は河原白朝の俳号で知られる俳人。権現山山頂には、俳人下村ひろしの書による「蘭船このかたの水路や雲の峰」の句碑が建立されています。