家盛公以下七代の墓がある菩提寺。赤い山門があることでも有名。口碑によると、平家盛は文治元年、藤原久道などを従えて九州に下向し、黒髪山麓に住むことにしたが、永住の地でないと宇久に移住することを決断。平戸から宇久の西岸にたどり着き、この碇泊した浦を船隠しとして伝えられています。以降宇久及び五島一円を支配下におき、五島藩の始祖として七代(家盛・扇・太・進・競・披・実)までの墓が安置されています。