天正十七年(1589)吉井直谷城主志佐純意の重臣で福島の押役であった寺山団助が上意討の手勢に滅ぼされた後、寺山家の武具、家宝等を埋めたという伝説の石積。自然石を塚状に積み上げ、背後にモチの木の老木あり。