平戸城は別名亀岡城と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城である。第29代天祥鎮信は、1613年に焼失した平戸古城の再築を図り、山鹿素行と共に設計を行い、1704年30代雄香棟が着工、1718年(享保3)31代松英篤信の時亀岡城として落成した。山鹿流による築城は他には聞かれない。現在の城は1962年(昭和37)復元(天守閣三層五階建)され、その後櫓も随時整備された。天守閣からの眺めは素晴らしい。
平戸城は別名亀岡城と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城である。第29代天祥鎮信は、1613年に焼失した平戸古城の再築を図り、山鹿素行と共に設計を行い、1704年30代雄香棟が着工、1718年(享保3)31代松英篤信の時亀岡城として落成した。山鹿流による築城は他には聞かれない。現在の城は1962年(昭和37)復元(天守閣三層五階建)され、その後櫓も随時整備された。天守閣からの眺めは素晴らしい。